09/12/2026 KatsuSera

諦めるということは、逃げることではない

Letting go is not defeat, but wisdom

繰り返されるミスを前にして、私はまた同じ問いを立てた。

「もう諦めていいものだろうか」

この問いを心の中で転がしながら、翌朝レスターとともに散歩に出た。今にも雨の落ちてきそうな空の下、それでも先へ進もうとする犬の背中を見ていると、どこか滑稽で、そして愛しかった。公園の手前で引き返すことにした。それは敗北ではなく、その日の判断だった。雨にも打たれず、ラッキーな朝だった。

仕事のことを考えると、話はそう単純ではない。

報告も連絡も相談もなく、誤りが生じれば謝罪だけが届く。どのように改善するかについて、自ら語られることはない。同じミスが当日中に、翌日にも繰り返される。注意する言葉を尽くした。それでも変わらない。

他人を変えることはできない、と頭ではわかっている。 わかっていながらも、やはり考えてしまう。この人は私以外の誰に対しても、同じように接しているのだろうか。誠意のない対応が繰り返されるとき、その周囲の人々にも同じ不快と不安を与え続けているのではないかと。それが単なる自分への苛立ちよりも、もっと重くのしかかってくる。

我慢、我慢。待つことの意味を問いながら、それでも待っている。

だがある日、スーパーで和歌山のイチジクと広島のレモンを買って帰り、ジャムを煮た。鍋の中で果実がゆっくりと溶けていく様子を眺めながら、ふと力が抜けた。私にできることと、できないことがある。その境界線を、怒りではなく静けさの中で引き直す時間が、どうやら必要だったらしい。

「諦める」という言葉は、日本語ではどこか敗北の匂いがする。しかし本来、諦めるとは「明らかに見る」ことだと聞いたことがある。現実を明らかに、ありのままに見ること。それは目を逸らすのではなく、正面から見据えて「ここまでだ」と決める行為だ。

年齢も、周りの目も、関係ない。私は自分の人生の道を歩く。

そう書き記した日の朝も、レスターと公園を一周した。涼しくて、いつもの顔ぶれと挨拶を交わして、エアコンもいらない季節がようやく来たと感じた。大雨で各地に被害が出ていても、雨が降るから季節は動く。そういうものだと思っている。

想像できることは、叶う。

その言葉を信じて、そろそろ釣りの準備でもしようかと思っている。心にある、言葉にならない重いものが解放される日が、きっとくる。それまでは淡々と、しかし確かに、自分の足で歩き続ける。

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``Nature does not hurry,
yet everything is accomplished``

Catch the Moment, Chase the Tide