自分以外は、すべて他人。
この単純な事実に、人はなかなか耐えられない。
私たちは他者を理解したいと願う。
しかし、その願いの根底には「自分と同じであってほしい」という無意識の欲が潜んでいる。
けれど、他者は決して自分ではない。
自分の痛みをそのまま感じることも、自分の喜びをそのまま共有することもできない。
他人は他人としてしか存在せず、
その内部には、自分が決して立ち入ることのできない意識の宇宙が広がっている。
思考し、選び、信じ、疑う。
それぞれが自分の世界の中心に立ち、自らの真理を生きている。
その隔たりを「寂しさ」と呼ぶのか、「尊厳」と呼ぶのかは、私たち次第だ。
だが確かなのは、他者を完全に理解することも、支配することもできないということ。
だからこそ、他者と向き合うとは、
理解することではなく、「理解できないまま、尊重すること」なのだろう。
自分以外はすべて他人。
その認識は孤独をもたらす。
だが同時に、それこそが、他者を愛するための出発点でもある。