朝4時、いつものようにレスターに起こされ、いくら何でも早すぎるので寝室に戻りもう少し寝た。
背中を撫でると静かに寝、腕を伸ばすと、ちょんと顎をのせる。まるで彼女のようだ。
これは下書きをしていて忘れていた投稿。写真の撮影日を確認すると9月29日のことだった。
もう、1ヶ月半もの時が進んでいる。母は10月末頃から寒くなったからと冬眠しだした。
5時半には散歩に出発、いつも会う人たちと、いつものように挨拶をする。明け方の冷えからスエットを脱ぎ公園を歩く。
今年80歳になった母親がベンチで仲間と話をしていた。
散歩中は人にも犬にも興味なく匂いばかりが気になるレスターが母を見つけ喜び膝に飛びのる。
あまり見ない光景に思わず記念撮影しようとiPhoneを取り出した。
人と人との距離は物差しでは測れない。
毎日、投稿していたレスターのインスタアカウント、気づけば10日ほど開くことも無い。写真はいつも撮り、ここに残すか別のアカウントに投稿している。手のひらの中に見る小さな他の写真のほとんどに大きな意味を感じれなくなった。コロナ禍で耳にするソーシャルディスタンスは、相手と数メートルの距離を取るようにとの意味だが、それはフィジカルなディスタンスであって社会との距離をどう考えるかを考えると楽しくなく、人から離れた場所に家を持つ理由までが変わってしまう。
散歩中に挨拶や立ち話をする人の多くは名前も知らない、知っている人はごく僅かだが、だからと言ってその違いに大差はない。
レスターの写真入りのカード(名刺)を公園でも数人に渡したことがあるが、いつもレスターを可愛いと言ってくれるご婦人が何処で聞いたのか、わたしもわんちゃんの名刺が欲しいと言われた。翌日にお渡しした時に、写真の裏にある名前や住所を見て世良さんって言うんですねと言われたが、僕から名前を聞くことはなかった。カードは自己紹介のためのものなので渡すことに抵抗も不快感も何もない。
名刺を渡しても渡さなくても、写真を公開してもしなくても、その先には何も無い。
人それぞれが考える社会的距離。
行きたければ行けばよく、他に興味があれば気にしない。まるでレスターの散歩のようだ。
その時々が楽しければそれで良い。待つほど無駄なことはせず、他を理由にすることなく、自分のしたいことだけを楽しむ。
散歩から戻り、出かけるまでに少し時間があったので、釣竿を出してきた。ガレージに立てかけていた沢山のロッドの中から1本。
ロッドにはリールは付いたまま、PEも痛んではいないようだ。
何年も使っていない、触ってもいないロッドをタオルで拭き、
ドラッグの音を確認する。レスターは邪魔せず隣で僕の動きを見張っている。
あのダムでなら8lbで良いかとリーダーをとり、レスターの隣に立てかけた。
僕の中ではもう釣りは始まっているのに、何も言わずiPhoneを見て写真を撮られることがわかっているレスター。彼には欲がなく、僕が動くたびに後ろを追いかけ一緒にいることをだけを求めているように思う。
流石にダムに二人で釣りはできないよと声をかけ庭に連れ出した。
ここまで書いて公開するのを、追記するのを忘れていた。備忘録でもあるこのブログ、この日、この時に感じていたことの記録として・・・