「AIを積極的に活用しております」と、名刺を差し出すような調子で話してくる人がいる。会社として導入しているということは、そうかもしれない。だがそれは、厨房に包丁があると言っているのと変わらない。包丁があれば料理ができるのか、という話だ。
昨日の面談もそうだった。先方がボイスメモで録音すると言うので、私も同様に録音した。確認事項をお互いが記録し、当日に私のほうでその音声を要約し、議事録をまとめ、確認項目への回答をメールで送った。それだけのことを、一日以内にやった。
返信は来ていない。
2ヶ月前に期限を伝えてお願いしたタスクがある。途中でリマインドもした。それでも、まだ音沙汰がない。相手は、世間が「大手」と呼ぶ会社に勤めている。
責める気にはなれない。ただ、淡々と事実として受け取る。会社の規模と、個人の動作速度は、まったく別の話だ。
為替でも同じことを感じる。ニュースで「円安が進んでいます」と聞くのと、自分で日々チャートを読み、ポジションを持ち、損益と向き合い続けるのとでは、同じ「為替を知っている」という言葉の中身が、地層の厚みほど違う。経験とは、繰り返しの中で静かに積まれるものだ。誰かの発表資料の中には積まれない。
DXという言葉が好きな組織ほど、現場の一人ひとりの解像度には無頓着だったりする。ツールを導入することと、そのツールを使って考えることは、まるで別の行為だ。そして結局、どんな仕事も最後は人に行き着く。メールを読んで返すかどうか。約束した期限を覚えているかどうか。それはAIの問題ではなく、その人自身の問題だ。
だから私は、粛々とやる。ボイスメモを録り、要約し、送る。期限を決め、リマインドし、記録する。相手が動かなくても、自分の手を止める理由にはならない。待ちながら次の手を考える。それが仕事というものだと、経験を重ねるほど思う。
華やかな言葉よりも、静かな実行が人を作る。看板の大きさより、目の前の一通のメールにどう向き合うか。そこに、その人の解像度が出る。
高い解像度を持つ人は、たいてい静かだ。自分の仕事をただ丁寧にやっている。それだけのことを、毎日続けている。