07/21/2026 KatsuSera

舞台を降りた者の静けさ

After the game, the silence speaks

ワールドカップの3位決定戦を観た。フランス対イングランド、壮絶な撃ち合い。画面の向こうで選手たちが躍動するのを見ながら、ふと自分の過去が重なった。あの頃の自分も、ああして走っていた。目標という名のゴールに向かって、情熱という燃料を燃やし続けながら。

推進力がいかに大切か、今だから骨身に沁みてわかる。前に進もうとする力が薄れていく過程は、誰にとっても似たような軌跡を描くらしい。監督でも、ゲームキャプテンでも、もはやプレーヤーでもない。では今の自分はどこに立っているのか。スタンドの観客席か。いや、それとも違う。舞台そのものを、静かに降りた者の場所、とでも言うべきか。

久しぶりに会社へ足を向けた。先週も来たかもしれないが、記憶が薄い。それほどに遠い存在となっている。重い空気は気温のせいだろうと自分に言い聞かせたが、あの場所でしかできない仕事が一つもないことには、もう随分前から気づいていた。

SNSの一部を削除した。意味があっての行動だった。それなのに、思考は整理されるどころか、矛盾が別の場所で顔を出す。頭の中がすっきりしないまま、それでも画面から手を離した。まぁ、それでいい。全ては大したことではない、と思う気持ちは、投げやりではなく、一種の自由だ。

合併の案内をホームページに公開した。あと2ヶ月余り。終わりが近いのか、始まりが近いのか、その境界線は思いの外曖昧なものだ。

機械のような回答を繰り返す相手との関係に、もう疲れた。「返信が遅れて申し訳ありません」「優先順位を考えて行動します」、その言葉が何度繰り返されたか数えることすら馬鹿馬鹿しい。できないことも同じ、やらないことも同じ、そして言い訳も同じ。成長も、オリジナリティも、そこには何もない。伝えることの優先順位が低いと悟ったなら、関わり続けることのリスクを背負い続ける理由もない。

自分が飽き性なのか、執着しすぎているのか。その問いは今も答えが出ない。ただ一つ確かなのは、完成したものは過去だということだ。捨てるのではない。それを栄養素として、次へ進む。できたことへの安堵など、一瞬も感じたことがない。それが性分というものだろう。

舞台を降りた者は、観客にも評論家にもならなくていい。次の舞台を、自分の手で組み立てる側に回ればいい。焦らず、しかし止まらず。淡々と、しかし確かな力で。

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``Nature does not hurry,
yet everything is accomplished``

Catch the Moment, Chase the Tide