八月の終わりというのは、不思議な時間の質感がある。
夏の余熱がまだ肌に残っているのに、空気のどこかにはもう秋の予感がある。カウントダウンという言葉が頭に浮かぶとき、それがプレッシャーではなくワクワクとして胸に届くのは、準備が整っているからだろう。Asanaのボードには期限と進捗が静かに並んでいる。九月十日、十五日、月末。そして十月一日。
朝の散歩で雨に降られた。レスターはコンビニの前でお座りをして待っていた。背中に走る崩れたハートの柄を見た若いお母さんが「可愛い」と声をかけてくれた。レスターは私に視線を向け、柔らかい表情をしていた。犬というのはいつも、今この瞬間だけに生きている。その姿が清々しい。
七時にMacの電源を入れると、最初に開くのはClaudeになった。少し前まではGmailだったはずなのに。いつの間にか、AIとの対話が一日の起点になっている。AIを本格的に使い始めてまだ三ヶ月ほどだというのに、チャットの履歴にはすでに膨大な試行錯誤が蓄積している。自分で作ったのかどうか確認したくなるほどの量だ。几帳面な性格が災いして、整理しながら整理することの繰り返しになることもある。だが、その几帳面さがAIとの相性を良くしているとも感じている。不要なものは削除し、必要なものを検索で呼び出す。整理整頓の延長線上に、AIとの協働がある。
時間は止まらない。AIの進化も止まらない。だから自分も止まるわけにはいかない。とはいえ、疲れることもない。休みたければ休めばいい。何曜日が休日かも決まっていないが、それに不満はない。仕事をしていない時間より仕事をしている時間の方が多いのに、ストレスは不思議なほどゼロだ。
十月一日、経営実務がSHI一社に絞り込まれる。持株会社の社長という肩書きはそのままに、実務の面積は四分の一になる。縮小ではなく、解放だと思っている。自分の時間に余白が生まれる日だ。seralogという幹はすでに稼働している。GZiという枝をどう育てるかは、もう少し考える。軸はあくまでも、実名の自分自身だ。
それが何度目の「新しい幕」になるのかはわからない。ただ、今回が仕事人としての最終章になることは確かだ。最終章とはつまり、もっとも自由に書ける章でもある。
報告のない連絡、返信のないメール、読まれないメモ。笑えてしまう場面もある。だが、そのことを誰かに言うことはない。無関係を選んだのは自分だから。書いてしまえば、それで十分だ。
息子から得たヒントで、新しいプロジェクトが動き始めている。好きなことを深く掘り下げるソロプレナーの第一歩。AIは今日も黙って走り続けている。私もそうする。淡々と、しかし確かに。