11/08/2026 KatsuSera

火を起こし、魚を釣り、草を刈る

A quiet life, fiercely lived

十一月の朝は少しずつ遅くなる。夜明けが引き延ばされ、暗闇の中で犬と歩き始める時間が今年も戻ってきた。川べりでカワセミが一瞬だけ青い光になって水面に消えた。魚を咥えて戻ってきた時、もうそこにはお日様が顔を出していた。朝とはそういうもので、誰に挨拶されることもなく、ただ来る。

焙煎は二回目だった。温度を上げ、タイマーを押し、ロースターを回す。八分で百八十度、十分手前で一ハゼ。そのまま温度は上がり続け、豆は黒くなった。フルシティを目指したのに、フルローストになってしまった。失敗だと書いた。でも動画を編集して気づいた。あれが二ハゼだったんだ、と。次は多分成功する、とも書いた。これは希望ではなく、観察に基づいた予測だ。感情ではなく、データと経験から導いた結論。次は温度を少し下げて十分を目安にする。それがまた楽しい。

牛窓の海は雨上がりの午前十時に口を開けた。娘の竿だけに当たりが続き、良型の真鯛とマゴチ。大きな魚がかかった瞬間にロッドをもらい、戻そうとした瞬間にラインが切れた。残念という言葉だけが残る。しかしポイントを変えると今度は自分の竿に真鯛が連発した。四十センチを超えるものが三尾。海は理不尽で、だからこそ面白い。正午ちょうどにストップフィッシング。真鯛六尾、マゴチ一尾、アコウ一尾。数字は嘘をつかない。

翌日の朝は草を刈った。自分の敷地より隣の空き地を刈る時間の方が長かった。育ちすぎた木はチェーンソーで枝打ちした。気持ちの良い汗をかいた。誰かに褒められるためではない。ただそこに伸びすぎた草があり、自分に鋸があり、晴れていたから、やっただけのことだ。

経理の仕訳を一日かけて整理した。煩雑になっていた科目を整えながら、自分の仕事は、という言葉が単なる言い訳でしかなかったことに気づいた。頑張る、頑張っている、必ずやる。これらは結果を持たない言葉だ。理解していなければ、何も言ったことにならない。トップは全てを把握して当たり前だ。誰かに任せることとは、理解した上で委ねることであって、知らないままにしておくことではない。丁寧な仕事は、一杯のコーヒーを淹れることと変わらない。手順があり、温度があり、時間がある。

三十五年の関係が、一本の電話で終わった。大事な話の途中で、一方的に切られた。長い時間をかけて積み上げたものが、ある一瞬にただの過去になる。腹を立てる気力よりも、静かな確信の方が先に来た。これ以上、自分を削るのはやめる。必要な情報を問い、答えさえもらえればそれで良い。感情ではなく、数字と契約で話す。それだけで十分だ。

レスターは今夜も隣で眠っている。朝になればまた歩く。豆が残っている。海はまだある。

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``Nature does not hurry,
yet everything is accomplished``

Catch the Moment, Chase the Tide